平岸地区とは
アイヌ語のピラ・ケシ=崖の端を由来とします。
開拓使時代から一体はリンゴの生産が盛んで、海外へ輸出していたこともありました。
1972年の札幌オリンピックを契機に、宅地化が急速に進み、国道453号(通称:平岸街道)を中心に商店や住宅が広がっています。
平岸地区町内会連合会とは
平岸地区町内会連合会は、札幌オリンピックの年である昭和47年に45町内会、加入所帯11,325戸で設立されました。
当初は、平岸地区、南平岸地区、中の島地区の三地区で構成されておりましたが、昭和52年に南平岸が独立し、昭和54年に中の島地区が独立しました。
初代平岸地区町内会連合会会長は滝谷豊二氏、以後数えて16人の方が連合町内会長として平岸地区町内会連合会発展のため、英知を振り絞り、努力されてこられました。
現在は、27単位町内会が平岸地区町内会連合会を形成しております。(令和6年5月現在)